日本の住まいの歴史
こんにちは! 🙂
私はいよいよ2級建築士の試験本番が迫ってきて勉強に追われる毎日です。
さて、今回は日本の住まいの歴史についてお話したいと思います。
日本の住宅の歴史は、遥か縄文時代の竪穴式(たてあなしき)住居にさかのぼります。その後柱を地面に埋めた掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)で建物規模が大きくなり、屋根空間の下を基盤の目に仕切る総柱型建物、自然石の上に柱を建てる礎石建物、伝統構法を経て現在の在来工法へと変換しました。
竪穴式住居とは、地面を円形や方形に掘り、その中心に柱を建て、梁や垂木をつなぎ合わせて家の骨組みを作り、土や葺などの植物で屋根を葺いた建物です。規模の大きなものは、室町時代まで利用されていたそうです。
鎌倉時代以降は、掘立柱建物といわれる柱を地面に埋めて建物をつくる工法が長く庶民の住宅で用いられており、17世紀後半以降に石の上に柱を建てる礎石建物、伝統構法が建てられるようになりました。
石の上に柱を建てる礎石建物自体は古くから中国や朝鮮半島より日本に伝わっていましたが、限られた建物でしか用いられませんでした。
その理由としては、自然災害の多い日本の気候風土では地面に掘った穴に柱を埋めて固定する掘立柱建築が、伝統構法の柔構造ではなく剛構造ながら柱の太さに関係なくある程度地震や台風に耐えることが可能であり、しかも建築費が安く技術的にも簡単だったので庶民の住宅に採用されていたからだそうです。
中世以降は、総柱型建物と言われる建物が主流になっていました。
母屋(もや)という屋根を支える天井より上の構造の空間と、屋外空間の庇を持ち、内部空間は基盤の目のように柱の間隔が2m~2.4m前後で統一された建物です。
江戸時代の封建制度時は住居に使われる材料や家の間取りや規模などに厳しい制約が課されていたそうです。
床の間、畳、瓦屋根などは貴族や武士階級だけに許されたものでした。
やがて柱と柱の間に間仕切壁が設けられ、部屋として細分化され現在の住宅へと変化してきました。
日本の住宅は様々な変遷を辿って進化してきたということが私も勉強になりました。
何かの歴史を探求してみると新しい発見がありますよね♪
今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
引用:古民家の調査と再築/川上幸生